岡山の舞踊・演劇の感想

岡山のダンス(主にコンテンポラリーダンス)や演劇の感想を書きます。

『まつろわぬ民2022~更地のうた~』レビュー

 『まつろわぬ民2022〜更地のうた〜』が2022年12月14日、天神山文化プラザホールで上演された。平成狸合戦ぽんぽこの主題歌『いつでも誰かが』で知られる白崎映美の主演の舞台。朗読劇と白崎映美のライブの2部構成で行われ、演奏家ファンテイルによるギターの生演奏が舞台を彩る。
   舞台は2022年福島。老人介護ホームから行方をくらました老婆スエ(白崎映美)を追って福島にやってきた介護職員のかおり(吉田佳世)。そこで元牛飼いの安島(佐藤正宏)とスエの家を解体する建築業者の山路(堀井政宏)と出会い、交流していく姿を描いた。
 舞台セットは出演者が座るイス4つと、演奏するギターが並べられているだけのシンプルなものだ。ファンテイルの繊細でやさしいギターの音色で舞台の幕があけると演者がかくれんばの「もういいかい」「まあだだよ」の掛け声と共に登場し、観客を2022年の福島へといざなう。
 まず初めに胸に残ったのは、劇の中で描かれている被災地の今の姿だ。被災地は今一面の更地にぽつんと数軒のアパートが建っている。かおりのセリフを借りれば「SF映画みたいでシュール」な光景だ。また、家が取り壊され更地が増える光景に対して「まるで後から来た津波だな」という安島の台詞は、実際に震災を経験したものでないと出てこない生々しい言葉だった。メディアにはなかなか出てこない被災地のリアルを見事に描いていた。
   物語ではいまだ傷が癒えない被災者の姿にもスポットが当たる。安島は震災によって可愛がっていた牛を見捨てたことをずっと後悔している。山路も妻を津波で失っており、妻の遺品である壊れた携帯を持ち歩いている。終盤、その携帯に電話が掛かってきて山路は妻からの電話なのではないかと思うシーンがある。このような霊的現象は、実際に東日本大震災後に起こったらしい。ノンフィクション作家・奥野修司の『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』という本は3・11で近親者を亡くした被災者が体験した霊体験がまとめられている。震災で亡くなった義兄から電話がかかってきたという類似した話も収められていた。なぜこのような現象が起こるかわからないが、いなくなってしまった人の忘れたくないという気持ちが霊的現象を引き起こすのかもしれない。
 そして、物語は現代にとどまらず古代にさかのぼる。劇のタイトルにある「まつろわぬ民」とは、古代大和朝廷の支配に反発した東北の民の蔑称である。物語中盤ではスエより大和政権に迫害された鬼の話が語られる。鬼はまつろわぬ民のメタファーだ。権力者によって悪者にされ、最後には忘れ去られる。歴史の中で迫害されてきた人々と被災者たちが置かれている状況が重なり合っていく。
 さまざまな角度から震災を描く中で浮かび上がってくるメッセージは、いなくなってしまったもの達を忘れないでほしいという願いだ。物語の最後、かくれんぼの掛け合いをする。。特に最後にはスエが「まあだだよ」と言い続けるその姿には心打たれた。「まあだだよ」と言い続ける限り「もういいかい」と言葉が返ってくる。だからこそ、それを言い続けるのだ。そこに3・11の被害者だけではなく過去に迫害されて消えてしまったもの達、すべてを忘れないという意志を感じた。愛する人を忘れず、亡くなった後も忘れないことはつらいことだ。亡くなったという事実と向き合い続けなくてはいけないからだ。しかし、それを受け入れて忘れないと誓うスエの心意気に観客席からはすすり泣く声が聞こえた。
 それから、ファンテイルのやさしいギターと白崎映美の伸びやかな歌声にのせて、劇のために書き下ろされた「更地のうた」が歌われ幕を閉じた。2部のコンサートでもアンコールで歌われた「更地のうた」は亡くなった人へ思いを込めた鎮魂歌であると同時に、過去を忘れずに生きる人たちへの讃美歌でもあった。