「みみをすます」 岩下徹即興ダンス レビュー
「みみをすます」は山海塾の踊り手、岩下徹の即興で踊られるソロ作品だ。タイトルは谷川俊太郎の同名詩から名づけられた。まず、特筆すべきは上演される会場だ。黒住教神道山の日拝所で行われた。黒住教とは岡山に本部を構える宗教だ。天照大神を崇め、毎朝、朝日を拝む日拝が行われている。それが行われる場所が日拝所というわけだ。
ここからの眺めが素晴らしい。瀬戸内海まで見渡せる見晴らしの良さと豊かな木々に囲まれ、そこに木製の舞台が設置されており、そこで日の出に信者たちが集まり日拝するのだ。まさに聖域であった。
そんな生気ある場所で岩下は即興ダンスを踊る。決まった振付はない。岩下の身体感覚をそのままダンスへ反映する。例えば、聞こえる鳥のさえずりや虫の音に合わせて舞い、ときに観客の反応なども取り入れていた。
日拝所という空間で起こるすべてのことを取り込んで動きは変容していく。自然の中で身体の感覚を研ぎ澄まし、感じたことを動きに反映する。自然と共に踊る姿はアニミズム的な雰囲気を漂わせていた。
私はバリ島やジャワ島などのインドネシア舞踊を思い出した。インドネシアは土着の信仰としてアニミズムが根づいている。「インドネシア芸術への招待」という本では、インドネシア芸術は「祖先崇拝や精霊崇拝の儀式において神がかり(トランス)を伴うことが多く」と述べられている。これは私見なのであるが、自然のために踊っているうちに、踊り手と自然が一体になるのがトランス状態なのではと考えている。そう考えると、岩下は踊りの中で何度かトランス状態に入っていた。
その場で何度も小刻みにジャンプしている動きは岩下が動いているのではなく、木々たちが岩下の身体を支配し動かしているように見えた。鳥のさえずりに合わせ岩下が動く動作も、鳥の鳴き声が岩下を動かしているとしか思えなかった。
だが、そのトランス状態も長くは続かなかった。少しすると彼の身体はまた別の音や対象に興味が移り、その感覚を表現しようとする。むしろ、一瞬のトランス状態を得るために踊り続けるとさえ思えた。
神がかりになった時それを継続することもできたはずだ。しかし岩下はそれを拒否する。なぜか。終演後、岩下のトークがあった。そのときの岩下の言葉を借りれば「内にこもってしまう」からだろう。谷川俊太郎の「みみをすます」という詩は、一つの音だけでなくいろいろな音を聴きなさいというメッセージが込められている。
トランスというのは、一つの身体感覚だけに集中することでもある。それは一つの音だけに集中することだ。だからこそその状態を長くは続けず、他の音や感覚にみみをすますことを岩下は選んだのである。それは彼が己の身体感覚に正直に向き合っていたことであり、誠実に向き合っていることを感じさせた。